2011/10/21

三崎亜紀『失われた町』



( Sorry, today only in Japanese / Désolée, seulement en japonais aujourd'hui )


--- 大切な人が「消滅」したら?

「理由も無く失われる命というものも、この理不尽な世界には存在するんだよ」

僕は失われる そして町の人々も だけど人々の想いまでが失われるわけではない 明日へと望みを繋げていくために 残りの日々を僕たちは精一杯生き続ける --- (帯・本文より)




偶然手にする機会があって、読んでみました。小説すばる新人賞受賞作で映画化もされた『となり町戦争』や『バスジャック』などで知られている作家さんだったようで(この類の情報は、いくらニュースになっても本屋で新刊が平積みされても、ちょうどその時期に日本にいないとキャッチできない)。
ジャンルは敢えて言うなら近未来SF(ライトノベル寄り)、最初から読者に情報を与え過ぎず、読み進めながらいろいろ明らかになってくる流れとか、並行して語られる登場人物たちが少しずつ繋がりを持っていく構成がおもしろくて勢い衰えず飽きずに読み切れた、というのが読後第一の感想。
でも、残念ながら『ものすごく好きで手元に残しておきたい一冊』には思えず。なんでだろう?と考えてみたところ、どうも
・近未来風のカタカナルビがふられた言葉のいくつか(全部ではない)が違和感を纏っていて、どうしてもすんなり飲み込めない
・共感できる登場人物がいない
このあたりがネックになっていた模様。


Pixarの映画の話の時に書きましたが、芸術娯楽ひっくるめて、自分にとっては『リアリティーとイマジネーションの両立』が好きかどうかの分かれ目を決める重要なポイントらしく(らしくって…他人事みたいですけど、それについては後述)
フィクション・ファンタジーに於いて、現実には起こり得ない展開を支える背景にディティールが充分描かれていないと、つまり作り手の想像・創造力が見えないと、途端に夢から現実へと引き戻されてしまう。逆に言うと『これは有り得ないでしょう!』という設定をぽーんと目の前に広げられても、具体的な状況説明に説得力があったり、登場人物の考えや行動にリアリティがあって自分が寄り添う事ができると、いやー無い無い、いくらなんでもこれは無い、などと頭の片隅でつっこみつつも、フィクションとしてのその世界にスムーズに入り込んで楽しむことができる。


話を戻すと、どうやら自分がこういう判断基準を持っているらしいと気づいてから、いろいろと腑に落ちる事が多いのです。例えばPixarの人気シリーズ『Toy Story』はしっかり大人になってから見たので間違いなく空想の世界だという前提で楽しんだけど、そういえば24時間おもちゃが本当に喋らないかどうか監視してた事なんてこれまでの人生振り返ってみて一度も無いわけで、妙に人間じみた彼らのドタバタ劇を見てるうちに、もしかしたら自分が子供時代のおもちゃもこんなふうに動いてたんじゃないだろうか、とか、信じないながらも全否定せず、想像に乗っかって夢を見ることができる。岩井俊二監督作品に魅かれるのも同じ理由。『スワロウテイル・バタフライ』を最近見直す機会があったのですが、あれって場所はほぼ特定されてるけれど年代やその他の設定が細かく説明されないままで、でもそこは“決まってない”のではなく、“必要がないからいちいち言わない”だけであって、自分は見たこと無いけど、この世界のどこかにこういう都市が存在するのだろうと、初めの15分でまるごと受け入れてしまいました。ちなみにD.リンチの『ツインピークス』はこの私にとっての分かれ目周辺を常に彷徨い、判断に迷いながら結局最終話まで見せられてしまったというめずらしいパターン。あれこそ有り得ない、登場人物にもほとんど共感できない(個性的過ぎる)のになぁ。


蛇足ですが、三崎亜紀が男性だと知ったとき、また、有川浩が女性だと知ったとき(どちらも文章読めば想像付きますが。でも、そういえば北村薫ははじめ女性だと思って読んでたっけ。)日本語の名前ってなんて難しいんだろうと改めて思いました。
自分はわかりやすく“子”で終わる名前でよかったです。

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